2017年4月18日、「文春オンライン」で『「賃貸」vs「持ち家」のくだらない論争はそろそろやめにしよう』という記事がリリースされました。今回は、この記事について思うところを書いてみようと思います。
『「賃貸」VS「持ち家」のくだらない論争はそろそろやめにしよう』の内容は?
まずは、この記事の内容をざっくりまとめてみます。
・戦後に地方から出てきた人たちが、「家を持つことがあたりまえ」という発想を都市部でそのまま実行した。
・投資の観点から見ると、家の購入は危険な大博打。
・35年我慢して返済しても、残るのは古ぼけた物件だけ。
・家は自分が住む場合「運用益」は出ない。また経年劣化により価値が下落するので「売却益」が出ない。
・賃貸の家賃を払うことは「もったいない」ということではない。
・家賃はあくまでも生活するためのコストだと考えるべきである。
・東京オリンピック後は大量の家族向け賃貸住宅が供給されるから、家を買う必要はない。
・無理やり家を購入して、一生分の稼ぎを価値が落ちていく家に払い込み続けるより、家なんて生活するためのコストと割り切るべきだ。
・住宅ローンで借りるはずだった金額を別の投資用案件に投資したほうが、はるかに豊かな人生を送ることができる。
指摘通りのことも多いのですが、ツッコミどころも満載です。
そもそも、『「賃貸」VS「持ち家」のくだらない論争はそろそろやめにしよう』というタイトルにもかかわらず、完全にこの論争に参加しているという自己矛盾。なにか新たな視点をくれる記事なのかと思いタップしましたが、期待外れでした。
結論として書かれている「住宅ローンで借りるはずだった金額を別の投資用案件に投資したほうが、はるかに豊かな人生を送ることができるようになる」の部分にも矛盾があります。賃貸には「家賃」がかかります。この記事を書いた牧野知弘氏自身も、記事中で家賃を「生活するためのコスト」としています。そうであるとすれば、家を購入せずに賃貸に住み続けたとしても、「住宅ローンで借りるはずだった金額を別の投資案件に投資」することはできないのです。
……と批判的なことばかり書いてしまいましたが、少し建設的なことも書いてみたいと思います。
「持ち家」vs「賃貸」を「投資」の観点だけで語るのはそろそろやめにしよう
「持ち家」と「賃貸」のどちらがいいかが語られるとき、「投資」の観点が持ち出されることはよくあります。
投資で利益を出す方法は、主にふたつです。
ひとつは、投資したものを運用することによる「運用益」。たとえば、アパートやマンションを購入し、それを人に貸すことでお金が入ってきたとします。これが「運用益」です。もうひとつは、「売却益」。たとえば、先ほどのアパートやマンションを購入金額よりも高く売ることができたら、それが「売却益」になります。
この考え方を用いれば、「持ち家」を購入は筆者のいう通り「危険な大博打」になるでしょう。自分が住む家を運用して利益を出すことは難しいですし、人口減少が進んでいる日本では多くの家が値下がりすると考えられるからです。
ただし……。「投資」という観点ばかりで考えているとほかの大切な観点を見落としてしまいます。
僕はそのうちの一つとして、「生活の満足度」を重視しています。
賃貸には通常「原状回復義務」というものがあります。賃貸契約を終えて出ていくときには、元に戻さなければならないということです。自分の好きなようにカスタマイズして暮らすことはできません。「住んでいるときは思いっきり楽しんで元に戻して返せばいいじゃないか」と思うかもしれませんが、原状回復するにもお金がかかります。「いずれ元に戻さなければならないのなら、カスタマイズは我慢しよう」という心理が働きがちです。最近は「リフォーム&リノベーション自由!」という賃貸も出てきてはいますが、物件数全体と比較するとまだまだ少ないと言わざるを得ないでしょう。
持ち家ならこうしたことを気にする必要はありません。エコキュートを導入して光熱費の節約を狙ってもいいですし、お庭に洋風のオシャレな花壇をつくって花でいっぱいにしてもいいでしょう。なにをするにも自由なのは、持ち家ならではの大きな魅力です。実際、僕の生活満足度は、賃貸のころより何倍にもアップしたと思います。
持ち家と賃貸の設備の違いも忘れるわけにはいきません。僕が支払っている住宅ローンは同じエリアにある賃貸よりも安いのですが、キッチンもバスルームもトイレも賃貸よりランクが上です。これも生活の満足度向上につながっています。賃貸に住んでいたのでは、こうした設備を使うことはできないでしょう。
不動産コンサルタントの長谷川高氏は著書「新版 家を買いたくなったら」にこう書いています。
私が考える持ち家の魅力は、「自己実現」です。持ち家のメリットはさまざまなですが、家を通して「自分の趣味や生き方が体現できる」豊かさに変わるものはない! と強く感じるのです。
サーフィンをする人なら海の近くに家を買って、玄関横にシャワー室を作り、サーフィン仕様の家に作り上げることもできます。お茶やお花が趣味なら専用の茶室を作ったり、教室を設けて生徒さんたちに教えることも可能でしょう。本が好きならば壁一面に本棚を作りつけたり、音楽好きならば防音ルームも設置できます。
どんなにささやかな夢であっても、自分の本当に大切なものをかなえてくれる「手段」や「道具」として家に住むというのは、人生の大きな満足につながります。これこそが、高いお金を払って家を買う、真の価値だと思うのです。
僕はこの記事で、「絶対に家を購入すべきだ」あるいは「家なんて買うものじゃない」と伝えたいわけではありません。また、冒頭に紹介した記事のいう通り「家を購入することの危険性」も知っておかなければならないと思います。
実際に僕も「持ち家」と「賃貸」を金銭的な面から比較してみたことはあるのですが、投資の観点だけで家を購入するべきかどうかを考えると、別の観点を置き去りにしてしまう危険性があります。
家を買うかどうかはさまざまな観点から検討して決めるものです。投資の考え方は検討材料の一つにとどめておくのがいいのではないかと思います。