お久しぶりです、カオリンです!
2018年5月末、ついに出産いたしました! 5日間の入院生活を終え、現在は自宅にて育児奮闘中です。生まれたばかりの赤ちゃんは昼夜の区別なく活動するので、とにかく眠れませんね! 気ままに好きなことをやっていた出産前と比べると、不思議なくらい生活が変わってしまいました。
産褥期(さんじょくき)の大変さは今後書いていくとして、今回はとにかく予想外だらけだった「出産」の経緯をお伝えしたいと思います。
本陣痛までの道のり
出産予定日が6月4日。5月に入ってからの妊婦検診では、「いつ生まれてもおかしくない時期」だと言われていました。ただ、「赤ちゃんが週数のわりに下に降りてきていないので、たくさん運動してください」との注意が……。不安に駆られ、毎日1~2時間のウォーキングと20~30回のスクワットを決行。5月22日の朝に少量の出血がありました。
ついにおしるしか!? まだ予定日よりだいぶ早いけど運動の成果が出たか?
と喜んでいたのですが、その日の妊婦検診で「この出血はおしるしではない」という診断が……。しかも、羊水があまり多くないので、早めに産んだ方がいいとのこと……。不安要素が増えた私は、さらにがむしゃらに歩きまくるようになりました笑
検診の翌日から少量の出血が続き、お腹の張りが不定期で起こるように。ウォーキングの途中で立っていられないほどの痛みを何度も感じました。さらにその翌日には、前駆陣痛が強まり、深夜には10分前後の間隔で痛みを感じるようになりました。
迷った末、深夜3時に病院に連絡。「まだ前駆陣痛かもしれないので、間隔が7,8分になったら連絡をください」と言われ自宅待機となりました。そして現状維持のまま朝を迎えることに。
ここからが長かった……。
痛みは来るのに時間の間隔は狭まらないので、病院には行けない状態が一日続きました。そしてその日の深夜――ニセおしるしから3日後の5月25日午前3時過ぎにようやく陣痛の間隔が7分前後となり、夫の運転で病院へと向かったのでした。
陣痛の間隔が狭まらない!
そのまま入院にはなったものの、陣痛が5分間隔になるか、もしくは破水が起こらなければ、陣痛室には行けないとのことでした。しかしそれから間隔が狭まる様子はなし……。そのうちに夜が明け、助産師さんからは病院内をとにかく歩いて陣痛を促すようにとの指令が……。
歩こうにも襲ってくる陣痛の痛みに耐えられず、少し歩いてはうずくまるの繰り返しでした。夫には仕事を休んでもらい、つきっきりで陣痛がきたらお尻のあたりをテニスボールで思いっきり押してもらっていました(「揉む」や「さする」よりも、これが一番効果的でした)。少し間隔が狭まったかと思えばまた広がってしまい、結局先に破水。陣痛室に行けたのは、その日の夜8時でした。
陣痛室では「痛みがいきみに変わったら教えてください」と言われ、ほとんど夫と2人で過ごしました。しかし、ここでも陣痛の間隔が思うように狭まらず、そのせいでいきみもなかなか感じることができませんでした……。
とにかく辛い陣痛に耐え続けた末、いきみに変わったのは明けて26日の午前2時40分でした。
限界の気力の中、ついに出産!
やっと分娩室に移動することができ、「ついに産める! この痛みともオサラバできる!」と希望が湧いてきました!
ところが……さらにここからがまた長かったんです笑
いきみ変わってから出産までは通常、初産婦でも2~3時間のようです。しかしここでも陣痛の間隔が開き始めてしまい、思うように赤ちゃんが下に降りてきません。午前8時頃、担当の先生が陣痛促進剤と帝王切開の同意書を持ってきました。これ以上長引くと、母子共にかかる負担が大きくなってしまって危険とのことでした。
陣痛促進剤については、赤ちゃんへの影響が懸念されているようです。医師からはその説明と、少しずつ必要量を点滴で投与する旨の話がありました。
ただ、すでに疲れ切っていた私には、
「なんでもいいから出して! この痛みを終わりにして!」
という思いしかありませんでした笑
可能性は低いが帝王切開になるかもしれないことも説明されました。
陣痛促進剤を3度投与された辺りから少しずつ間隔が狭まり、いきめるようになってきました。とはいえ、やはり自力で出すのは難しく吸引分娩となり、会陰切開を経て最後は先生にいきみのタイミングでお腹をぐいっと押され、どうにか生むことができました!
分娩時刻は午前10時43分、病院に来てから31時間以上経っていました。
我が子の泣き声が聞こえたとき、感動よりもまず「やっと終わった」という解放感が大きかったです笑
今回わかったこと
今回もお読みいただきありがとうございます。次回は、陣痛促進剤や吸引分娩について詳しくお伝えしたいと思います!